<2024年12月公開>
みんなのおうちの近くにある「淀川」。みんなの生活を水害から守るために、様々な工事が行われてきました。長い工事の歴史の中で「淀川河川公園」も今の姿になっています。そんな工事の中で大活躍した「はたらきもの」たち!真の主役を紹介するよ♪
明治初期に、様々な国から技術者(ぎじゅつしゃ)を招いて工事を行ったよ。この淀川の工事が、全国の川の工事が前進するきっかけになったんだよ。今回は、明治から昭和を中心に活躍した「はたらきもの」たちを紹介。150年の歴史の中でみんなの生活を守るため「淀川」を洪水の少ない安全な川にし、また蒸気船(じょうきせん)などの舟運(しゅううん)の発達にも大活躍したよ!
工事の「はたらきもの」をご紹介!(写真をクリックすると大きくなるよ)
明治後期には、本格的な大型機械の導入(どうにゅう)が始まり、その中でなんと!機関車も「土を運ぶ」機械として導入されたよ。工事のために、川沿いや川の中に桟橋(さんばし)をかけて線路(せんろ)を敷いたんだよ。
枚方市にも機関車が走っていた!?
~実はここにも工事用線路が敷かれていたよ~
当時は、淀川沿い(大阪市~京都市)に工事用線路が敷かれ機関車が走っていたよ。
現在の枚方でも地図のところ(赤線)まで線路が敷かれ、堤防を造るために土が運ばれていたよ。民家の間や川沿いに敷かれていた工事用線路は、土砂採取(どしゃさいしゅ)の終わりとともに撤去(てっきょ)、現状復旧(げんじょうふっきゅう)されたよ。
所蔵:国土交通省淀川河川事務所
20トン機関車は、掘削機とペアを組んで活躍したよ。掘削機がバケットですくいあげた土を土を運ぶ車に落として、その車を20トン機関車1台で25台引っ張っていたんだよ。
5トン小型機関車は大変!?
~小型機関車の裏話♪~
大正から昭和にかけての工事では、小回りが効く小型機関車も導入されたよ。20トン機関車に負けず、小型機関車も大活躍したよ。
そんな中、5トン機関車は「走行中に横揺れ(よこゆれ)が生じる」ことや「たびたび脱線(だっせん)する」などの大変さもあったが、当時の人たちからは活躍を期待されていたんだよ。
所蔵:国土交通省淀川河川事務所
長い歴史の中で、私たちの生活は守られてきたんだね。淀川河川公園に遊びに来た時には、そんな歴史の跡も探してみてね。