よしぶえ No.20 1999 WINTER
この朝 ながれていく雲に
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この朝 ながれていく雲に
目覚めた魚の言葉で 11月のあいさつを贈ろう
ぼくは今日いちにちを
いつもの顔して生きるだろう
冬はまだ 始まったばかりだけれど
ネクタイに雪を降らそう
心はハモニカの準備をしていて
財布とクリスマスプレゼントの関係なんかを考えている
朝焼けの町が見たくなって
ぼくは今日 始発電車で鉄橋を渡っている
何かいいことが起こりそうな そして何も起こらなかった
若い魚であった日々が むしょうに懐かしくなって
目次
イベント報告 イベント案内 淀川河川公園案内 淀川歴史散歩 淀川河川公園と私
淀川河川公園
淀川河川公園=全長約40kmにも及ぶ長大な流れを持つ淀川の両岸は、1972年(昭和47年)に事業化した日本最初の国営河川公園です。現在、全37の河川公園が4つのタイプに分かれ全体を構成しています。(1)施設広場地区は、野球場、テニスコートなど多くのスポーツ施設があり、楽しく遊べる地区です。(2)野草広場地区は、四季折々多くの野草が咲き、花の帯や摘み草苑など、自然に親しめる地区です。(3)自然地区は、自然生態上重要な箇所で、将来にわたって淀川の自然を保全する地区で、背割堤地区以外は都市公園として供用していません。(4)景観保全地区は、優れた河川景観を保全育成する地区です。現在最上流の三川合流地点で、歴史舞台になった風景やヨシの群落、桜並木が美しい背割堤地区があります。あなたの好きなタイプはどれかな。
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イベント報告
第9回 淀川フェスティバル-くらしと土木の週間イベント-
11月23日(月)恒例の淀川フェスティバルが、枚方地区及び淀川資料館で催されました。午前11時から午後4時まで、会場は多くの親子づれで賑わい、数々のイベントに子供達は大喜びの一日でした。テント内では、人気のぬいぐるみ人形劇ビーダマンや身近に易しく解説された土木の学校など。河川公園や淀川資料館ではクイズラリーが設定され、スーパー堤防中心の展示、日頃見られない災害対策車、イタセンパラやサツキマスの水槽展示、降海性アマゴ1万尾の放流、カモのバードウォッチングと盛りだくさんの内容で、途中曇ってきた天候も気にならず元気いっぱい走り回っていました。午後1時には、建設省のヘリコプターが公園内特設ヘリポートに約2時間駐機。間近に見る離着陸に満足し、来年の催しに早くも期待の様子でした。
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第57回はポカポカ陽気 淀川の自然を楽しむ会
11月8日(日)、初冬とは思えない陽気の中、八雲野草地区のわんど付近に集まったのは、子供23名大人80名計103名の大部隊。今回のテーマは「わんど」のたんけんで、わんどの由来・わんどの歴史・わんど周辺の植物(野草)観察でした。午前10時から午後3時まで淀川を堪能。採取した刺身のツマのヤナギタデはとても苦かった。
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洪水と戦うデ・レーケと輪中の人々の出会い 「水の華」 好演!
10月9日(金)守口市市民会館で、明治日本の砂防・河川事業に巨大な足跡を残したオランダの水理工師ヨハネス・デ・レーケと、天井川の洪水に苦しむ濃尾平野の人々との出会いを描いた、珍しい劇が公演されました。原作は、三宅雅子の「乱流」。企画はデ・レーケが思いを寄せたお絹役で主演した女優の磯村みどりさん。同公演は河川愛護行事・日蘭交流400周年記念プレイベントとして行われました。デ・レーケの貴重な資料は枚方地区の淀川資料館に残っています。
第12回淀川河川公園 ゲートボール大会
前日の開催が雨で順延になり、打って変わって翌10月29日(木)の仁和寺野草地区は快晴。抜けるような青空のもと、86歳の最高齢者をまじえた6人編成24チームが勢揃いし、4面の天然芝コートに展開、日頃磨いた技を競い合いました。今年5月の大会と同じチームが入賞し、賞品をを獲得するなど賑やかな秋の大会になりました。
★入賞チーム:
1位/若山クラブチーム
2位/招友会チーム
3位/山田池チーム、成東会チーム
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第5回淀川河川公園杯 女子テニス大会
10月12日(月)恒例の女子テニス大会が鳥飼上地区のテニスコート6面で行われ、午前9時から午後4時半まで熱戦が繰り広げられました。試合方式は1セット6ゲーム先取のダブルスで、敗者復活戦もあるトーナメント制。参加36組72人中、栄冠を得たのは次のチームです。
★入賞チーム:
1位/水田・足立チーム
2位/福井・雑賀チーム
3位/西村・十河チーム、岡田・中垣チーム
2:11:41の記録を更新できなかった 第4回淀川河川公園リレーマラソン
12月12日(土)太間地区・陸上トラックを中心に2kmの周回コースでリレーマラソンが行われました。距離は42.195km、1チーム4~10名編成。絶好のランニング日和の中、143チーム1,078名のランナーがタスキをつなぎ熱戦を繰り広げました。記録をねらうチーム、伴走者と走る障害者チーム、マイペースを楽しむチームなどランナーに大きな声援が送られました。
ほうとわずかに記録更新はならなかった。他に部門賞が、ファイヤーキノコーズ・交野養護ランナーズ・クボタ枚方製造所ポンプ有志・メンタル守口・トドカルチョ・FRUN赤い涼風・酒飲み~ず、に送られました。
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イベント案内
2月7日(日)
淀川凧上げ大会(太間地区)
2月21日(日)
淀川の自然を楽しむ会(伊加賀野草地区)
2月21日(日)
寝屋川ウィンターフェスティバル(太間地区)
2月21日(日)
淀川自然を楽しむ会(伊加賀野草地区)
2月21日(日)
第21回寝屋川ウインターフェステバル(太間地区)
3月7日(日)~5月9日(日)
河川環境管理財団杯争奪サンスポ野球大会(海老江地区他)
4月~11年3月
淀川テニススクール(第1期~第6期)
4月初旬
桜まつり(背割堤地区)
4月中旬
第2淀川河川公園ジュニアシングルテニス大会(外島地区)
5月上旬
第31回守口市こどもまつり(八雲地区)
5月中旬
春の緑化祭植木市
6月上旬
第13回淀川河川公園ゲートボール大会(仁和寺野草地区)
6月中旬
LOVE遊-淀川
淀川河川公園案内 最終回
ゲートボール他ニュースポーツ施設編
淀川河川公園のニュー・スポーツ施設は、下記の6地区に設置されています。 高齢化社会をむかえ、淀川河川公園では近年、スポーツがいつでも、どこでも、 だれでもが出来るよう、スポーツ環境整備に努力してきました。生涯教育に原点をもつ スポーツの考え方は、1960年以降、世界的な動きになり今日に至っています。 ここにあるゲートボール、パターゴルフ、ディスクゴルフ、ミニサッカー、 ローラースケートなどは、その波から人々に広がりました。
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地区名 | ニュースポーツ | 交通 |
---|---|---|
(1)仁和寺野草地区 | パターゴルフ (27ホール) | 京阪電車寝屋川市駅から京阪バス(点野経由守口市駅行) または京阪電車守口市駅から京阪バス(八番、点野団地経由寝屋川市駅行) で仁和寺団地下車徒歩5分。 |
ゲートボール (3面) | ||
ディスクゴルフ (9ホール) | ||
(2)木屋元地区 | ストリートバスケット(2面) | 京阪電車寝屋川市駅から京阪バス(太間公園行)で太間公園下車徒歩5分。 |
(3)鳥飼上地区 | ローラースケート(1面) | JR千里丘、吹田駅から阪急バスで上鳥飼下車 または阪急電車茨木駅から阪急バス・近鉄バスで中鳥飼駅下車徒歩10分。 |
(4)大塚地区 | ゲートボール (4面) | 京阪電車枚方市駅、または阪急電車高槻市駅から京阪バス枚方大橋北詰下車徒歩7分。 |
(5)島本地区 | ゲートボール (1面) | 阪急電車大山崎駅下車徒歩15分。阪急電車水無瀬駅から阪急バスで島本下車徒歩5分。 |
(6)大山崎地区 | ストリートバスケット (2面) | 阪急電車大山崎駅またはJR山崎駅から京阪バス新山崎橋下車徒歩10分。 |
ミニサッカー (1面) | ||
■お問い合わせ・お申込みは *受付時間/9:00~12:00 13:00~16:30 *休日/毎週月曜日および年末年始(12/29~1/4) |
(1)(2)の地区 | 太間サービスセンター | 〒572-0078寝屋川市太間町7-31 TEL0720-38-0888 |
(3)~(6)の地区 | 鳥飼サービスセンター | 〒566-0071摂津市鳥飼下1-8-1 TEL0726-54-9800 |
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淀川歴史散歩―第6回―「千本つき」歌と鳥飼周辺
記:滝本明
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千本つき歌碑[A]
鳥飼仁和寺大橋北詰の堤防下に、鳥飼サービスセンターがあります。淀川堤防上を下流の方へ約500m歩いた所に、「千本つきの歌」の石碑が見えてきます。千本つきとは、土木作業の一種の地固め作業のことです。古代から淀川は、沿川に住む人々に多くの恵みをもたらしましたが、その半面洪水が多く、推古天皇の時代から記録に残されているものだけで、250回を越えるといわれています。 そのつど労役に駆り出されたのは、両岸の農民達でした。明治18年の大洪水をきっかけに、本格的な堤防工事が始まり、沿岸の農民達は労働者として河川工事に参加。男達はモッコやトロッコで土を運ぶ仕事をし、女達は五尺(1.5m)ほどの杵を持って堤防上に並び、土砂を突き固める作業を受け持ちました。そのとき歌われた「千本つきの歌」の冒頭部、「千本つきには/調子がござる足と手と口/三拍子」が石碑に刻まれています。淀川の歴史を支えたワーク・ソングが聞こえてきそうです。
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鳥養院跡[B]
淀川河川公園太間サービスセンターのある淀川新橋(北詰)から、対岸側へ渡り北西へ800m、鳥飼上4丁目交差点を右(北)約150mへ入った所に、宇多天皇 (867~931)の離宮があったとされる「此付近鳥養院址」の石碑が、新井路という水路近くに建っています。千年前は淀川を望む風光明媚な高台で、通称「御所垣内」と呼ばれ、高野詣、住吉詣、熊野詣の人々が、しばしば足を止めて絶景に見入ったといわれています。古典の「大和物語」に、亭子の帝(宇多法皇)が鳥飼院に遊幸した折り、大江玉淵の娘を召して「鳥飼」というテーマで和歌を詠ませた話があり、「あさみどりかひある春にあひぬれば かすみならねどたちのぼりけり」の出来栄えを大層お褒めになったそうです。近年の摂津市は市街地に変貌しており、4km下流の鳥飼の渡し跡や鳥飼牧跡(鳥飼下三丁目)などに、むしろ往時を偲ぶ風情があるといえそうです。
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鳥飼牧跡[C]
鳥飼牧は、安威川の下流と淀川との間に形成された体積地にあったもので、「延喜式」(制度などをしるした書・平安時代927年に制定)の左右馬寮の項に登場する古代の牧場のことです。同書によれば、「摂津国鳥養牧右馬寮」とあり、右馬寮とは官馬の役所のこと。牛車や馬が大切な乗り物だった時代、牛馬は全国からこの鳥飼牧に運ばれて、諸節会・行幸の際に必要に応じて訓練され、京の町に上って行きました。京都への招集は、寮が当該国へ通知し、牽送・管理は国司の責任で行われていました。京都の近くに所在した近都牧六ヵ所のうち、豊島牧と鳥養だけは、右馬寮が直接放飼・繋飼する直属の牧でした。鳥養牧には別荘地や港も設けられていて、「土佐日記」には、宇多法皇没後4年の承平5年(935)、土佐から帰洛途中の紀貫之一行が、淀川をさかのぼって鳥養牧に停泊、鮮魚をもらった返礼に米を与えたとされています。鳥飼(鳥養)の地名は、古代にこの地に住んでいた鳥養部にちなんだものと考えられています。
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淀川河川公園と私
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国宝・利休の茶室に残る淀川下りの歴史
昭和60年に琵琶湖疎水とさざなみの道の会が発足し、「近江文化の源流である隣国の韓国へみず道ルートで旅してみたい」想いがつのり昭和62年8月、石山寺港~浜大津~伏見~宇治川~淀川~大阪港~瀬戸内海経由釜山へと5日間の船旅をしました。
高度情報社会、スピードと効率第一主義の現在社会にあって往時の文化的状況を推察しながら、将来への文化的展望をも論議する中で自然の流れに身をまかせ時間を忘れ、三十石舟がゆらりと岸を離れた時この旅が始まった。僅か三時間余りの淀川下りの当時を思い出しながら、紀行記念誌より言葉をかりたいと思います。
記念誌は当時の会長・徳永真一郎(作家)の巻頭言「楽しかった旅」に始まり、目次の一部を拾うと「三十石舟と淀川の旅情」「出会いの旅」「呑み助の船旅」「みず道紀行に詠む」「韓国の姿に日本を思う」「夢の五日間」「コーロンの地下カジノ」「海峡を」「一つの歌の思い出」「陶工に想いを寄せ」「初めての外国」等々、寄稿して頂いた参加者の想いが今も伝わってきます。文中には、…三十石舟で宇治川を通り、木津川と合流し淀川になる地点では思わずシャッターを押すほど感動し、地図の上で見るのではなく、この目で川の合流地点を見たという喜びが…(川崎邦子)、…お酒を飲みながら見る景色も川の堤防が高いせいで、ビルや工場が見えず自然を見る、そんなのどかなもの…(黄瀬三朗)、…毛馬閘門での水位調節は見ていてあきなかった…(近藤孝一)、…水の流れを間近に見て、ちょっとした怖さと同時に優雅さを思い…(中島純子)等、水面から眺める景色がひと味違って見えた非日常的体験が語られていました。
この度(平成10年秋)11年ぶりに三十石舟で川下りを楽しみましたが、水量の不足から淀付近で断念。歴史を巡ると、船寄場は伏見、大阪とも4ヵ所づつあり、なかでも伏見の京橋と大阪天満の八軒家が有名で休憩所と兼ねた船宿が軒をつらねていました。当時は交通の要所として重要な役割を果たしていましたが、今は一部にその姿を見るだけになっています。
京都山崎・妙喜庵「待庵」(国宝)の茶室には、利休が淀川を上下する舟にあった"潜り"から思いついて茶室につけたといわれる躙口(小さな出入口)が設けられています。この躙口は他の茶室のものよりひとまわり大きく、躙口を潜ると二畳の茶席になっています。余談ですがここにも淀川の歴史が残っています。
こじつけかもしれませんが、川の流れと同じで「住宅の玄関ドアも、人を招くことから内開きが本来の自然な姿」だと思います。日本の気候条件、敷地等の都合により外開きが主だと考えがちですが、建築に限らず自然の恵みに即した住環境の考えを、今一度見直してみる必要があります。
水運が道路・鉄道に転換され、川の利用価値が薄れ川離れが始まり、それにつれて住む文化も変化してしまいました。護岸工事が進み川の表情が少しづつ変化する中、出来る限り自然と共に時代をつくることは出来ないものなのか、河川公園で親子が楽しく遊んで自然を満喫できる場所も大切だと思います。
川は人間の心を映す鏡だと聞いた記憶があります。行く水は流れにまかせ、かた時も止まらない。過去も未来にもとらわれずただ上流から下流に思うままに。
またの機会に船下りを楽しみたいと思います。
影石俊則
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ナンバー6
影石 俊則(かげいしとしのり)
建築家。1946年2月5日生まれ。滋賀県大津市に建築事務所を開設。
美しい自然と文化財を生かした広域的な『まちづくり』をめざして活動する。現在「琵琶湖疎水とさざなみの道の会」副会長。