よしぶえ No.22 1999 SUMMER
絵物語
その部屋には、川の風景の絵があった。
窓の外に雨が降ったとき、絵の中で魚が跳ねた。
かすかな音が部屋に響いた。
夜になるとその部屋で、子供たちはいくつも夢を見た。
その、不思議な未知への憧れと、幼い恐れを私は忘れない。
川は母に似て、夢の上を静かに撫で、朝にはもとの絵になった。
絵の外で、10年が過ぎ20年が過ぎた。
ある日、少年は大人になった。人の死と恋を知った。
その辛い心の変わり目を、私はいつまでも覚えておこう。
岸辺にまた夏が来て、子供と父親が歩いていた。
あの花はナニ?ウン、ホテイアオイって言うんだよ。変な名前…。
花は、見る人の心を真似て、色んな言葉で咲くんだよ。
絵に青空。小さな夢の積乱雲。
川のある町に来て、心があの部屋を探している。
目次
淀川河川公園ニュース イベント案内 淀川の野草 淀川歴史散歩
平成11年3月、「淀川の野草」を刊行
近年、淀川周辺の都市化が進み、自然の野草を身近に見る場所が非常に少なくなった。淀川には、まだ約700種の野草や多くの生き物が生息している。(財)河川環境管理財団では、淀川がもっている豊かな自然環境の保全育成とその心を河川公園利用者に伝えるため、平成11年3月、「淀川の野草」を刊行した。本はB5版136Pフルカラーで、淀川河川公園37地区のうち28地区・116種の野草が四季別に分かりやすく解説されている。一般の植物図鑑のように難しくはない身近な手引きが特長。文は元高校生物科教諭の有馬忠雄氏、写真は細川和昭氏。約350種の紹介をする予定。
(「淀川の野草」参照。)
淀川河川公園ニュース
淀川河川公園 2地区で間もなく新施設オープン!
枚方地区「淀川スタジアム」オープン!
淀川河川公園で初めての砂入り人工芝の多目的グランドが、8月に枚方地区で開場予定です。7月10日がオープニング記念イベントで、元阪神球団選手の真弓・中西・伊藤氏など数人による野球教室を予定しています。同グランドは野球の他、サッカー・ラグビーなどにも利用できます。
お問い合わせは太間サービスセンター 0720-38-0888。
大山崎地区「竹の交流広場」開園。
桂川右岸にある大山崎地区は、現在までに、駐車場・野球場2面・ミニサッカー場1面・遊技広場などが完成し、多くの利用者があります。8月に新しく「竹の交流広場」が開園予定で、竹音具・クマザサなど竹類の植栽に景石、石張園路を配した芝生広場を整備しています。ぜひご利用を。
大阪府地域防災総合演習 淀川水防演習
5月28日(金)、淀川右岸の三島江地区上流側で、午前9時から12時まで淀川水防演習が行われました。当日は梅雨前線のはしりの影響で終日曇り。最高気温23度。演習は、42機関、1500人余りが参加した大掛かりなもので、各種車両、機械、ヘリコプター、通信機器も使用されました。これからの梅雨、台風などの出水に備えた演習で、過去、大阪に台風災害をもたらした第二室戸台風級の気象を想定。情報伝達、河川巡視に始まり、土のう作りなど各種工法、子供・身障者を含む地元住民の避難、人命救助の訓練が行われました。なお、会場では参加者対象のボランティア登録も行われていました。
第31回 守口市こどもまつり
5月16日(金)淀川河川公園八雲地区で、恒例の「守口市こどもまつり」が開催されました。当日は昨夜の雨が少し残り、催しが危ぶまれましたが、1時間遅れの10時30分に開会。開会式以降は、時々薄日も射し最高気温も24度とまずまずの遊び日和。会場は、みどり・ピンク・きいろ・あかの4色のひろばで構成され、朝から出掛けてきた大勢の親子連れが30地域のグループに分かれ、公園は埋め尽くされました。同イベントの今回のテーマは、「~作ろう、遊ぼう、でっかくチャレンジ~」で、親と子・大人と子供が共に遊び作ることでその絆を深めようとするもの。各色のひろばは5~7のコーナーがあり、きいろのひろばの忍法カニ歩き、吊り橋渡りや滑車滑りは大人気で閉会の3時半まで歓声があがっていました。
イベント案内
7月10日(土)
淀川スタジアムオープニング記念イベント(枚方地区)
7月18日(日)
淀川わんどクリーン作戦(城北わんど地区)
8月29日(日)
淀川の自然を楽しむ会 テーマ「水辺の生物」(海老江地区)
10月1日(金)~3日(日)
都市緑化祭(神戸市)
公園に咲かそうマナーの花いっぱい
7月下旬
「LOVE遊-淀川」淀川”わんど”クリーン大作戦
水性生物・水辺植物の調査・観察 ”わんど”周辺の清掃
(城北わんど周辺)
9月~10月
淀川河川公園秋季野球大会 参加160チームによるトーナメント戦
(海老江地区 他6地区)
9月5日(日)
淀川河川公園杯男子テニス大会 参加チームによるトーナメント戦
(男子ダブルス)(赤川地区)
9月27日(日)
淀川河川公園杯女子テニス大会 参加チームによるトーナメント戦
(鳥飼上地区)
10月1日(金)~10月31日(日)
淀川河川公園マナーアップ強化月間
マナーアップキャンペーン及び写真展示他
(淀川全線及び沿線)
10月1日(金)~10月3日(日)
都市緑化祭(都市緑化月間)
“都市に緑と公園を”のPR サブテーマ「水・緑・花のあふれる都市」
(兵庫県立舞子公園)
10月2日(土)~10月3日(日)
秋の緑化祭(植木市) 植木即売会・緑化相談 他
10月下旬
淀川河川公園パターゴルフ大会 18ホール ストロークプレイ
(仁和寺野草地区)
11月
淀川河川公園ゲートボール大会 参加24チームによるリンク戦
(仁和寺野草地区)
11月7日(日)
淀川の自然を楽しむ会 背割堤探検(背割堤地区)
11月下旬
「LOVE遊-淀川」鳥と魚 淀川に来る冬の渡り鳥と淀川の魚の展示
(背割堤地区)
12月11日(土)
淀川リレーマラソン
42.195kmを4~10人を1組として、リレーでフルマラソンを走る
(太間地区)
2月上旬
淀川河川公園 凧あげ大会 大凧あげ・凧コンテスト他
2月20日(日)
淀川の自然を楽しむ会 ヤナギを使って・・・(伊加賀野草地区)
淀川の野草
文/有馬忠雄
ガガイモ
不思議な名前を持った多年草、淀川の草むらでよく見られる。園芸植物のサクラランとかマダガスカル・ジャスミン、生花用のフウセントウワタなどは同じ仲間。その気で見ると、淡い紫色の花がやけに美しい。心臓型の葉、茎や葉から滲み出る白い乳汁など草むらで見つけるヒントになるだろう。別名、クサパンヤ、ゴガミ。
ヤブカンゾウ
薮でなく、堤防斜面で生育するヤブカンゾウ。山手の方で見られるのはノカンゾウ。変な感じがするが、オレンジ色の八重咲きの花は明るい陽の下が相応しい。牧野植物図鑑では、和名をワスレグサ、別名をヤブカンゾウとしている。葉はあくがなく、食べやすい。特に葉の付け根は生でマヨネーズで食べるのも良い。
クサノオウ
「草の王」とはまたすごい名前だ。ケシの仲間だから毒草である。地方名に見るエボグサ、タムシグサ、チドメグサなど、薬草としての命名が考えられる。名前の由来も、皮膚病の「くさ(瘡)」や丹毒を治すから「瘡の王」だと言う説明が見られる。葉をちぎると黄色い汁が出てくるから、まさか口に入れる人はおるまい。
クサネム
合歓に似た葉を持った草。で、クサネムと言うわけ。熟した豆は鞘がはじけるのでなく、種子一粒毎に鞘が折れて地面に落ち、次の年のもとになる。鞘という肥料を用意しているのか、それとも、動物達に食われにくくしているのかどちらか分からないが、うまい種播きの方法である。水に浮かんで移動しやすいということも考えられる。
淀川歴史散歩―第8回―江口の里と平田の渡し
記:滝本明
江口の里[A]
淀川が湾曲し、大阪市内に入る右岸に神崎川との分岐点があります。この一帯は江口と呼ばれ、平安・鎌倉時代から近世にかけて水上交通の要所でした。この地が急速に発展し始めるのは、延暦四年(785)に淀川と三国川(現安威川の下流)との間に新川を掘って、二つの川の水路が結ばれてからでした。この工事で江口の地は、平安京から山陽・西海・南海の三道を必ず通る所の宿場町として大層繁栄しました。とくに平安中期以降は、紀州熊野・高野山、四天王寺・住吉社への参詣が盛んになり、往来する貴族たち相手の遊女の里としても知られ、11世紀末の大江匡房の『遊女記』には「天下第一之楽地也」と記されています。遊女たちは群をなし小船を操って今様を歌いながら旅船に近づき、旅人の一夜の枕を共にしたと言います。彼女たちは多才で、歌舞・音曲にすぐれ、中には和歌をよくする者もいました。名妓として名を残したのは、小観音・中君・子馬・白女・主殿。その名から、彼女たちの人柄が偲ばれます。とくに有名なのは、西行との歌問答で「新古今集」に収録されている遊女妙です。仁安二年(1167)旅の途中、雨宿りのための宿を断わられた西行は、「世の中を厭う間でこそ難からめ 仮の宿を惜しむ君かな」と歌を詠みます。ところが思いがけず女から返歌があります。「世の中を厭う人としきけば仮の屋に 心とむなと思ふばかりぞ」。意気投合した二人はその夜を語り明かしました。妙は平資盛の娘で没落後遊女に身を落としたそうです。この話は中世説話集に脚色され、後に観阿弥の謡曲「江口」になります。その妙が発心して庵を作ったのが始まりとされているのが江口の君堂(寂光寺)という尼寺。境内には妙の墓、歌碑があります。東淀川区南江口三丁目にあり、阪急京都線上新庄駅から淀川方面へ2.1km、市バス高井田行き「江口の君堂前」下車。
平田の渡し跡[B]
淀川の右岸、河川公園豊里地区には、豊里大橋橋詰に出る堤防上に、「平田の渡し跡」の碑が初夏の川風を受けて涼しげに建っています。この辺りは、下流のヨシの群落や対岸のワンド風景が美しく淀川を代表する場所のひとつと言えましょう。石碑は、南向きに建ち対岸の旭区の同渡し跡石碑(太子橋地区)と向かい合っています。碑の側面の文字には、「この地は丹波地区や大和地区への要地で、淀川両岸は渡船で結ばれていた。江戸期には淀川上下の川舟改め番所があり、平田番所ともいった。昭和五十六年大阪市建立」とあります。付近四か村を合わせた天王寺庄村の代表格の平田村の呼び名が当てられました。また今市渡しとも呼ばれ、江戸中期には対岸の京街道から河内の野崎観音参りの人々で大いに賑わいました。