よしぶえ No.30 2001 SUMMER
存在のうた
朝の光の中で
飛ぶ理由をしばし忘れている
あの日の蜻蛉に似た 俺の形よ
ある日 世界の時間はこうしたものだよと
昨日の夢のつづきの中できみは
人生の複葉機でありつづけることができただろうか
一日に一度だけ訪れるあまりにも懐かしい
夕焼けだけを待っている孤独な心
僕が僕であった理由
きみがきみでありつづけた遠さの中で
生命の軽さをただ確かめていたあの日の
風景としての僕のレオナルド
目次
淀川河川公園ニュース イベント案内 淀川の野草 親子3人「淀川源流」旅日記 淀川河川公園と私
長柄河畔地区に史跡公園
新淀川と旧淀川(大川)の分岐点から毛馬水閘門上に橋が架かっています。大堰周辺は治水・利水の重要な施設があり、これまで一般の通行はできなかったのですが、7月から午前8時半から午後5時の間が通行可能となり、左岸堤防の行き来が便利になります。また、同施設脇にあるレンガ造りの旧毛馬閘門や淀川改修紀功碑などの史跡が隣接する長柄河畔地区に組み込まれ、淀川の歴史や淀川大堰の風景を楽しめる場にもなりました。
淀川河川公園ニュース
大山崎地区デイキャンプ場オープン
今年の7月、大山崎地区にデイキャンプ場がオープンします。近年、淀川河川公園での野外バーベキュー人気が高まり、施設の充実が図られてきました。この新施設は大塚地区に続き、2番目に誕生。自然色アスファルト舗装の散策路や流れをイメージした玉石張りなど、周辺の有名な竹林と一体となった庭園風広場になっています。場内は半円形石造りベンチを向き合わせたストーンサークルのバーベキューコーナー11基・水汲み場2箇所が芝生の中に点在して設けられています。また、大きな円形状レストコーナーのベンチ側面には、竹の話・竹の玩具・竹と暮らしなど竹にちなんだ写真入り陶板38箇所各2枚がはめ込まれ、野外での1日がより楽しめるように工夫されており評判を呼びそうです。なお、施設利用の際、公園周辺の竹林は私有地のため立ち入りできませんのでご注意ください。
第23回 春季野球大会決勝戦
6月3日(日)、淀川河川公園枚方地区の大阪スタジアムで淀川河川公園杯・春季野球大会の決勝戦が行われました。対戦は「大鉄」対「中央シャインズ」で、午前9時にプレーボール。両チームとも一歩も譲らぬ投手戦を繰り広げました。9回表、攻める大鉄が2死1・3塁と絶好のチャンスをつくったものの得点にならず、9回を終わって両チーム無得点。10回からは1死満塁から始まるサドンデス方式で延長戦。大鉄は3本のヒットをつなぎ4得点あげたのに対し、中央シャインズはヒットが出ず無得点で4度目の優勝を逃しました。大鉄は2度目の栄冠を飾り、決勝戦終了後は表彰式に引き続き、256チーム参加のもと、3月から始まった大会の終了式も行われました。6月17日(日)西部ドームで東西決勝に臨み、東日本代表「岬チーム」に5:0でやぶれ日本日の座を逃しました。
植木市(都市緑化祭)
5月26日(土)・27日(日)の2日間、「植木市」が行われました。会場となって守口地区・けやき広場は16社が出展した樹木や草花、園芸用品でいっぱい。訪れた人達は目的のものを探したり、草木の手入れなどの相談をしたり、植木市ならではの光景が見られました。両日とも午前と午後に「ランの育て方」や「寄植の実演」を開催。また、訪れた人達には花の種などが無料配布され、春の都市緑化祭の一環として実施された植木市の賑わいを一層盛り上げていました。
桜まつり
4月1日から10日間、背割堤地区で恒例の「桜まつり」が催されました。この地区は堤防上の両側に桜の木が植えられており、約1.5kmの長い桜のトンネルになります。散策路の所々に設けられたレスト・コーナーでは桜の下でひと休みする人たちで賑わい、堤防の下に広がる芝生広場では家族連れや団体でお弁当を開く人たちでいっぱい。背割堤地区は桜の穴場でしたが、最近は人気が高く花見の名所となっています。今年の花見シーズンはやや気温が低く花が長持ちして、期間中は見事な桜が堪能できました。
イベント案内
7月1日(日)~31日(火)
河川愛護月間
7月8日(日)
中学生シングルテニス大会(赤川地区)
7月20日(金)
“わんど”クリーン作戦(城北ワンド)
8月26日(日)
第65回淀川の自然を楽しむ会(十三野草地区)
9月2日(日)
男子ダブルステニス大会(赤川地区)
9月下旬~11月上旬
第28回淀川河川公園秋季野球大会(海老江地区他)
淀川の野草
季節を告げる素敵な草花を探してみよう!文/有馬忠雄
ハルジオン
ヒメジョオンとよく間違われやすい北アメリカ原産の越年草。うなだれた蕾(つぼみ)、淡紅色の花びら、中空の茎などがヒメジョオンとの違いだ。一時非常に少なくなっていたのがまた見られるようになった。「何故か」は、よく分からないが気付かれない間に草の世界にも栄枯盛衰(えいこせいすい)があるらしいと実感。別名はハルジョオン(春女苑)、こっちの方を和名とする考え方もある。
オオジシバリ
細長い葉が地面から突き出すように生え、茎が入り組んでまるで地面を縛(しば)っているような生え方をする草。ジシバリとはこの姿を本当によく形容した名前である。別名、ツルニガナは蔓(つる)のような伸び方をする茎と、葉の苦みから来たのだろうか。
タチイヌノフグリ
オオイヌノフグリはよく知られていると思うが、名前が似ていてもこちらは小さすぎて全く注意されにくい草である。なにしろ、花の直径は約4mmなのだから。ヨーロッパ原産の帰化植物で、明治時代に入ってきたらしい。地味だけど、帰化種だけあって繁殖地をぐんぐん広げている。
親子3人「淀川源流」旅日記~桂川その2~
少し風はあるものの、暖かい日差しに恵まれた日曜日。桂川の右岸に位置する松尾・桂周辺地域をメインに散策。嵐山に比べると観光客は少なく静かな佇まいです。今回は友人とともにドライブも楽しみました。(下流に向かって右側を右岸、左側を左岸と言います)
京都南インターから車で約10分。久我橋近くに鳥羽浄化施設【A】がある。敷地内は美しい新緑におおわれ静寂そのもの。ここは礫砂や木炭を使って川の水質を改善している所。残念ながら、施設が河川敷の下にあるため浄化作業が見られない。堤防沿いは菜の花が一面に広がり青い空に映えていた。施設の対岸に人影が見えたので、行ってみることに。そこは久世橋西詰公園、バードウォッチングの穴場だ。堰にはカワウの集団が。水面ぎりぎりをマカモが飛ぶ。「ヘラブナやコイが釣れるで」と釣り人が教えてくれるやいなや、突然アオサギが川にドブン。「お先に失礼」と、おっちゃんを横目に獲物をさらっていった。娘は滑り台に一目散。鳥よりも遊具に興味をもった様子であった。
そこから次の取材先、長岡京跡【B】をめざして阪急西向日駅の方へ。あたりを探すが見つからない。たまたま家の前を掃除していたおばちゃんに尋ねてみた。すると「すぐ、そこ」を指さす。閑静な住宅街のド真ん中に目的地はあった。昭和39年に国の史跡に指定された、奈良の平城京より移した古代の都跡。現在は公園として整備され、子ども達の遊び場になっている。史跡というより、町中に見られる児童公園のような趣だ。歴史が今に融合し、そこに住む人々はそれが当り前のように暮らしている。
次に向かったのは阪急桂駅と桂川の間にある桂離宮【C】。旧桂宮家の別荘で、広々とした敷地内を見事な竹藪が囲む。宮内庁管轄のため、見学には事前許可が必要。今回は外から眺めただけだが、内に入ると優美な建築と日本庭園が見られるらしい。この辺から娘がグズグズ。次に向かう途中、渋滞に巻き込まれとうとう退屈しだした。
車中から開放されたのが松尾大社【D】。娘は上機嫌で境内を散歩中の犬をなでまくる。敷地内には三千本もの八重のヤマブキが連なっている。ちょうど取材日が山吹まつりの真っ最中であったため、日曜カメラマンでいっぱいだった。花を愛でた後は疲れを癒しに喫茶店へ。酒造りの神様が祀られているだけに、水がおいしい。もちろんコーヒーや煎茶も。ついでに酒饅頭にも舌鼓を打った。
つかの間の休憩の後、歩いて桂川右岸へ。阪急松尾駅を通り過ぎて約3分で到着。ここには石を積んでつくられた水制【E】がある。これは水の流れによる川岸の侵食を防ぐためのものだ。きっと魚の隠れ場所にもなっているのだろう。川辺はバーベキューを楽しむ人々で賑わう。川は魚や鳥の楽園であるとともに、人の心を憩わせる大切な場所であることを感じさせられた。
夕刻、桂川の自然を満喫した私たちは帰路に着いた。娘は大きな寝息を立てて熟睡。そのリズミカルな息遣いがこの日の楽しさが表現しているかのようであった。
*取材/4月22日(日)
*小村家・プロフィール/父の一也はプランナー兼イラストレーター。母の郁慧はコピーライター。そして一人娘の東洋(とうよう)。
淀川河川公園と私
河川の様々な面を理解して欲しい
気軽に原稿依頼を受けたものの、送っていただいた資料には「淀川河川公園と私」となっていてビックリ。表題で文章が書けるほど私と淀川河川公園とは深い関係ではないのです。
私は建設コンサルタントに勤め、河川計画等の仕事を30年近く続けています。よく、私の仕事について聞かれたときに「河川の計画をしています。」と答えると、「河川って計画するんですか?」とよく言われます。こんな時、一般の人には河川の計画していると言うことがあまり知られていないんだなと思います。
一般の人には橋梁とか道路が土木の仕事としては知られていますが、河川はあまりポピュラーではないようです。その中で悪いイメージとしてダムや河口堰が辛うじて河川に関する仕事として知られているようです。
この度原稿を書くにも一度も淀川河川公園で遊んだことが無いのでは話にならないので、息子(小学校6年生)を連れて遊びに行きました。息子は友達と遊ぶ約束をしていると言うので、きっとファミコンでもする気だなと直感。友達も一緒に、と無理矢理のように連れて行きました。何処へ連れて行かれるのかと子供達は道中面白くなさそうにシーン。家(豊中)から30分程で仁和寺野草地区に着きました。
広々とした芝生広場では家族連れがあちこちでテントを張ったり、バーベキューをしたり楽しんでいます。でも、空間が広いため開放感があり、ゆったりしています。子供達も初めはぎこちなかったのですが、サッカーやキャッチボールをしている内にだんだんなじんできました。少し水辺に行ってみようと言うことになり、水辺に行くと勝手に石を拾ったり、水面に石を投げて飛ばしたり、楽しそうに遊んでいます。
最後にパターゴルフをして楽しく帰ってきました。ファミコンが出来なくて膨れていた子供達もとても楽しかったようです。私も仕事としてではなく、淀川河川公園ではじめて遊んで、身近にこの様な場所があることを再発見したような気がします。
仕事柄、河川というと洪水の氾濫とか浸水被害と言った、河川の脅威に関する面にばかり目が向いてしまいます。洪水に対して安全な川や、流域住民の生命や財産を守ることを目標とする治水計画に携わっていると、河川が自然豊かで人間に楽しみや喜びを与えてくれる空間であることを忘れてしまいます。
人間一つの面ばかりに目を向けていると他の様々な面に理解が無くなります。ノーダム宣言や河口堰問題など、河川を一方的な面からだけ見て対立しても、決して良い結果は生まれないと思います。河川の自然を守ることは大切ですが、流域住民の安全を守ることも重要な課題です。
報道などでは、自然を守る側が善で治水を推進する側が悪であるような印象を与えているような気がします。権力のある側と民間団体の対立と言うか判官贔屓(はんがんびいき)の様なものかも知れません。双方の主張にはそれなりの理由があるので、お互いを理解することが重要であると感じています。
淀川河川公園で遊んで、河川が自然豊かで楽しみや喜びを与えてくれる空間であることを実感しました。しかし、河川の役割はそれだけではないことも教え、理解することがよい良く河川を利用する為の重要な要件であると思います。
河川公園に遊びに行って数日後、息子の友達が「すごく楽しかったのでまた連れていって欲しい。」と言っていたそうです。また時間を作って連れていってやろうと思います。
仁賀 眞二
ナンバー16
仁賀 眞二(にが しんじ)
昭和24年4月14日大阪府豊中市生まれ。 昭和47年より株式会社三井共同建設コンサルタントに入社、平成6年6月両親の介護を前提に退社。
平成10年父を自宅で看取り、現在、妻と二人で母親の介護をしながら河川計画の仕事に従事している。